リバプール移籍が失敗だった3名のイタリア出身プレーヤー – リバプール×イタリア人は失敗の歴史

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リバプールとイタリア人の相性は芳しくない。数多くはないが、複数名が過去にアンフィールドに移籍してきては、短い期間で去っている。プレミアリーグへの適応に苦労したもの、怪我に悩まされ続けたもの、問題行動でチームの規律を乱し続けたもの…

今回はリバプールに加入したものの、大きなインパクトを残せなかった選手たち。つまり、チームを強化するという意味での失敗作になってしまったイタリア人選手を3名取り上げてみよう。

マリオ・バロテッリ

バロテッリ

悪童マリオ・バロテッリはインテル・ミラノで華々しいデビューを飾り、将来はイタリアの至宝になり得るポテンシャルを有していた。パレルモ出身FWは順調にステップアップし、若くしてプレミアリーグのマンチェスター・シティへ移籍。

イタリアでも問題行動を起こしていたが、マンチェスターに移ってからも相変わらず。最も印象的な出来事は、お風呂場での花火だろう。マンチェスター・ダービー直前というタイミングもあり、バッシングは相当なものであった。

手に余る問題行動に頭を悩ましたマンCは放出の決断を下す。ACミランに加入した元イタリア代表FWは母国でフォームを取り戻す。しかし、翌年の判断がキャリアを顕著に下降させる。それはリバプールへの移籍であり、リバプールもスアレス退団でFWの枚数が足りない中で、素行に問題のあるバロテッリ獲得には躊躇していたが、半ばパニックバイに近い形で入団した。

望まれない環境では力を発揮できる訳もなく、元々嫌っていたイングランドメディアとの相性の悪さも露呈。加入初年度は全コンペティションで4ゴールに終わり、たまに見せるやる気のない態度はサポーターの反感を買う羽目に。

驚異的なフィジカルで時たま見せるポテンシャルの片鱗は感じさせたが、フィットできずに翌年にはローン移籍でACミランに出戻り。しかしパッとした活躍できず、2016年にニースに完全移籍。契約満了に伴うフリーでの移籍を許したという側面からも、明らかな失敗作であったと言わざるを得ない。

バロテッリはニースで輝きを取り戻し、2年半の在籍で43ゴールはさすがの一言。その後は、マルセイユを経由して、ふたたび母国のブレシアに舞い戻った。それでも、代理人ミノ・ライオラとともに我がままっぷりは変わらず…練習の無断欠席などによりブレシア会長との関係は最悪。キャリアを通じて、人間的な成長はあまりなさそうだ…

アルベルト・アクイラーニ

アクイラーニ

ローマ下部組織で育った元イタリア代表MFはローマで主力へと上り詰めた。地元愛溢れるプレーヤーで、ローマでは149試合15ゴール9アシストを記録し、攻撃のリズムを組み立てるために重要な役割を担っていた。ボール扱いやパスセンス、前線への推進力と甘いマスクで涼しくこなす。もともと怪我がちであったが、リバプールがシャビ・アロンソの穴埋めのために白羽の矢を立てた。

怪我の影響でデビューが遅れたのは残念。カーリングカップでトップチームデビューを果たしたイタリアの貴公子は、プレミアリーグの速さと強靭さに全く太刀打ちできなかった。次のアクションの選択が遅く、パスで攻撃を組み立てることは愚か、試合に入ることすらできないイメージしかない。怪我がちで、そもそも試合にもなかなか出られない。戦力として数えることすら難しい状況に、誰が見ても明らかな失敗。

完全にリーグとチームへの適応に苦悩したアクイラーニは、監督がロイ・ホジソンに代わると、戦力外となり、ユベントスにローン移籍。ちなみに、ユベントスからはクリスティアン・ポールセンが加入しており、この頃の補強プランの迷走ぶりは言わずもがな。プレミア初挑戦が失敗に終わり、失意のまま母国へと去って行った。

ユベントス、ACミランと2シーズン連続でローンで放出されたローマ出身MFは、目立った活躍ができないまま、2012年フィオレンティーナに完全移籍。移籍金も獲得時に費やした2000万ユーロ(約26億円)の10分の1しか回収できておらず、財政面でもダメージを負った。

フィオレンティーナでまずまずの成績を残したアクイラーニは、スポルティング・リスボンを皮切りに放浪の旅に出る。複数のクラブを短期間での移籍を繰り返し、2018/19シーズンに無所属状態を経験。2019年に現役引退を決意した。

個人的にはパスの出し方がオシャレで好きだったが、あまりにフィジカルが伴わないのが痛かった。多少出番を失ったとしても、地元ローマに留まるのがベストな選択肢だった。あくまで結果論ではあるが…

アンドレア・ドッセーナ

ドッセーナ

ともすれば、忘れがちになる選手。2008年、ウディネーゼから加入した左サイドバックは1年半在籍し、31試合に出場。2得点を決め、アシストはゼロ。ヨン・アルネ・リーセの穴埋めとして、またファビオ・アウレリオとの競争を促すために獲得した選手であったが、プレミアリーグへの適応に苦労した。

加えて、本人にも認めているが、当時のプレースタイルへの適応にも苦しみ、若手のエミリアーノ・インスアの台頭にも対抗できずに、序列で3番手に下がってしまう始末。加入からわずか1年後の2009年夏にはユベントスやナポリが争奪戦を繰り広げ、早期のイタリア復帰のチャンスがあったが、残留してポジションを争うことを決意。

結局スタメン確保に至らず、2010年1月の移籍市場でナポリに完全移籍。獲得した金額とよりも割り引いた値段での移籍となり、収支面で大きくマイナスになった。なぜドッセーナを獲得したのか疑問が残るほどに、在籍時のパフォーマンスは印象的ではない。さらに、市場価値もどんどん落ち込んでおり、本人にとってもイングランド挑戦は忘れ去りたい過去となった。

その後はサンダーランド加入でイングランドにふたたび降り立ったが、翌年には退団。そのほかに幾つものクラブを渡り歩きつつもインパクトは残せず、2017年ピアチェンツァ退団で選手生命に終わりを告げた。

ウディネーゼでの大活躍がキャリアのハイライト。たらればを言ってもなにも変わらないが、そのままイタリアでキャリアを積み重ね、ステップアップすべきであったと言わざるを得ない。

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