リーズでの活躍が認められ、リバプールへ。初年度以降、ケガに悩まされ続けられたオズの魔法使い – ハリー・キューエル

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ハリー・キューエル レジェンド

リバプールの歴史を彩ってきたリバプール所属選手を振り返っていく企画。今回はハリー・キューエルのリバプールでのキャリアを振り返ってみよう。読者の中には「なぜ、キューエル?」と疑問が浮かんでいると思うが、理由がすごく単純。私が当時一番好きな選手だったから。ただそれだけ…

基本情報

名前:ハリー・キューエル(Harry Kewell)

誕生日:1978年9月22日

出身:オーストラリア スミスフィールド

ポジション:左ウイング、左ミッドフィールダー、トップ下、フォワード

経歴:リーズ → リバプール → ガラタサライ → メルボルン・ヴィクトリー → アル・ガラファ → メルボルン・ハート

リバプールにおける成績

03/04 – 07/08  試合数:139|出場時間:9.805分|ゴール:16|アシスト:6

キューエルと言えば、かつてリオ・ファーディナンドなどを輩出したリーズ・ユナイテッドでプレミアリーグデビューを飾り、左サイドを圧倒するゴリゴリのドリブルと巧みな足元の技術を武器に、同じオーストラリア代表のマーク・ビドゥカと共に輝かしいキャリアを築いていた。

マンチェスター・ユナイテッドとの競合の末、リバプールへ

キューエルに転機が訪れたのは、2003年の夏の移籍市場。当時アレックス・ファーガソン率いる常勝軍団マンチェスター・ユナイテッドを始め、チェルシーやアーセナルに加えて、ウリエ監督が率いていたリバプールがキューエル獲得に乗り出し、争奪戦の末に提示金額が劣るリバプールが獲得に至る。奇しくも後に世界的なスーパースターとなるクリスティアーノ・ロナウドをマンチェスター・ユナイテッドは獲得した年である。

リバプールに5年間在籍していたが、ゴールならびにアシストが物足りない。キューエルにとってリバプールでの5年間はケガとの戦いであり、実質的にシーズン通して稼働できていたのは、加入初年度と2005/06シーズンのみ。このような状況下であったために、レジェンド?というはてなマークにもうなずける。

ただし、万全の状態でプレーができた試合においては、輝きを放つ存在であった。特に2005/06シーズンはリーズ時代のような左サイドを切り裂くドリブルから脱却したシーズンであった。秀でたボールコントールで周りを生かすプレーに磨きがかかり、ニックネームであるオズの魔法使いに恥じない、魔法を随所に散りばめていた。晩年のキューエルのプレースタイルはこの年に確立されたと思っている。

主観的ベストゴール(vs エバートン戦)

一番記憶に残るゴールは、2005/06シーズンにアンフィールドで行われたエバートン戦。ジェラードが開始早々に2枚イエローカードをもらい退場処分になり数的不利に立たされる。それでもコーナーキックからオウンゴールを誘い、さらにルイス・ガルシアが2点目を決め、畳み掛ける。

キューエルのゴールが生まれたのはこの後。ペナルティエリア外5メートルくらいでボール受け、フェイントを入れディフェンスをシュートコースから外すと、アウトに掛けてミドルシュート。ボールはキーパーから遠ざかる軌道を描き、ゴール左隅に吸い込まれる。

完全主観のベストゴールはこちらから:

ただ批判を浴びることしばしば。イスタンブールの奇跡(2004/05チャンピオンズリーグ決勝で3点差をひっくり返し優勝)では、あまり印象にないが、ベニテス監督にトップ下として先発させている。

筋肉系のトラブルで開始早々に交代となり、リバプールファンからも非難殺到。もしも試合に負けていたら、さらなるバッシングがキューエルを襲ったことだろう。この決勝戦での勝利によって、オーストラリア人として初めてビッグイヤーを掲げた。

その後はあまり目立った成績がなく、5年契約を終えてガラタサライへ旅立っていった。奇しくも2004/05チャンピオンズリーグ決勝と同じリバプール対ACミランとの顔合わせになった2006/07チャンピオンズリーグ決勝にもちゃっかり途中から出場していました。

ところで、最近のキューエルが垣間見える動画を発見!昨年チャンピオンズリーグのバルセロナとの戦いの前に撮影されたもので、少し太ったキューエルを拝めます。

お時間あれば、ぜひご覧ください。

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