世界でも有数のゴールスコアラー。バイエルン・ミュンヘンでは、32歳となった今シーズンも20試合に出場し、すでに24ゴールを決めている。ブンデスリーガでは凄まじく、14試合20得点5アシストと驚異的な貢献度を発揮している。バイエルン・ミュンヘンの戦力差があるものの、凄まじい得点率を残している。
クラブでのキャリアを通しても、全610試合の試合出場に対して、434ゴール126アシストと天性ゴールゲッターであることを証明している。ポーランド代表でもチームを引っ張り、116試合63ゴールと絶対的エースの地位を確立している。
地元ポーランドのクラブであるレフ・ポズナンで頭角を表すと、2010年にユルゲン・クロップ監督が旋風を巻き起こしていたボルシア・ドルトムントへとステップアップを果たす。同じくヤング・ドルトムントの躍進を支えた元日本代表MF香川真司も、奇しくも2010年の夏にブンデスリーガに活躍の場を移している。
無名の選手から、ヨーロッパでも屈指のストライカーへと成長したドルトムント時代を振り返り、加入から日にちが浅い頃に行われたユルゲン・クロップ監督とのやり取りを明かした。
「(ドルトムントに)到着したときは、ほとんどドイツ語も喋られなかった。”ダンケ”(=ありがとう)くらいしか知らなかった。天気も雨や曇りが多く、クロップ監督の練習はそれはそれはハードだったよ。」
「成功することに必死だった。そんなときに、ユルゲンが勝負を挑んできた。だから最初の数ヶ月のあいだだけ、賭けをしたんだ。もし僕がトレーニングで10得点決められれば、ユルゲンが50ユーロを僕にくれる。もし決められなければ、僕が彼に50ユーロを渡す。」
「はじめの数週間は、ほとんど毎回僕が支払っていた。彼は笑っていたよ。でも、数ヶ月後には立場が逆転した。僕がお金をかき集めるようになっていた。」
「だから、ある日彼は”もう十分だ、やめよう!君はもう準備万端だ!”って言ったんだ。」
ユルゲン・クロップ監督とのゲームでチームに馴染んだか定かではないが、徐々にドルトムントでもエースの座を射止めると、最終的には103ゴールを決め、ヨーロッパでも屈指のストライカーへと成長を遂げた。
4年間のドルトムント生活を経て、ブンデスリーガではライバルクラブのバイエルン・ミュンヘンへと移籍している。得点源を失った古巣は大不振に陥り、前半戦をリーグ最下位で折り返すほど。シーズン終了までには7位まで順位を戻したものの、このシーズンをもって、ユルゲン・クロップ監督は退任している。リバプール監督に就任する約半年前の出来事であった。
ロベルト・レヴァンドフスキと言えば、新天地でも得点を量産。チームに欠かせない存在として、その知名度は世界レベルに達し、センターフォワード分野では最高の選手に数えられている。クリスティアーノ・ロナウドやズラタン・イブラヒモビッチが30歳中盤を迎えてもなおエースとして君臨しているため、ポーランド代表FWにも少なくともあと3年はトップレベルで活躍して欲しい…