フェンウェイ・スポーツ・グループ(FSG)がリバプールを買収して以来、クラブはスポーツビジネスとして発展を遂げた。他の上位クラブに比べ、低い投資額には批判も集まるが、健全経営は特徴でもあり、選手の能力を超えた馬鹿げた金額での争奪戦には参戦しない。
近年はアカデミーの強化も進んでいる。ハーヴェイ・エリオットやコナー・ブラッドリーらトップチームに定着する選手も生まれ、マージーサイド周辺に生まれ、幼い頃からリバプールで育つ地元選手らとともに切磋琢磨している。
ユルゲン・クロップ政権時代には、一部の一存での補強を避けるためにも移籍委員会が設置され、現場を知る監督、資金繰りを知る経営陣、選手の特長を知るスカウティングチームらの総意で選手獲得を行っているおかげか、大きなハズレを引く確率は大幅に減っている。
データ分析を駆使し、2012年から2023年までリサーチディレクターとしてリバプールに従事したイアン・グレアム氏は、自身の著書「How to Win the Premier League: The Inside Story of Football’s Data Revolution」において、日本代表FW三苫薫を獲得するように全力で進言しなかったことを悔やんでいると綴った。
「リバプールで私たちは、ブレントフォードとブライトンが獲得した選手を賞賛していた。」
「私と同僚のダフ・スティールは、国内リーグで傑出しているように見えたが、リバプールにはまったく通用しないか、私たちに合わないスタイルでプレーする選手のリストを保管していた。」
「ブライトンもまた、私たちが注目していた選手と契約した。パスカル・グロスはブンデスリーガ2部でプレーしながらプレミアリーグの平均以上のパフォーマンスを見せ、ブライトンで何年も同じレベルのプレーをしてきた。エノック・ムウェプはオーストリアで最高の若手MFだった。」
「マルク・ククレジャはスペインでプレーしていた時、すでにプレミアリーグレベルの選手だった。チェルシーが6200万ポンドを支払って彼と契約した時、ブライトンはすぐさま、スペインで同レベルと評価された唯一の若手サイドバック、ペルビス・エストゥピニャンと入れ替えた。」
「三苫薫はプレミアリーグの平均を上回る評価を受けた日本で最高の選手だった。」
「日本でプレミアリーグに近いレベルの選手を評価するのは非常に珍しいことだったんだ。」
「三苫をリバプールの獲得候補としてもっと真剣に検討するよう主張しなかったことは、今でも私の後悔の種である。」