プロのサッカー選手にとって、移籍は付き物。そして、チームを移る際には不安も伴うもので、移籍して成功する選手もいれば、失敗のまま終わるプレーヤーも多い。2006年の夏、バンフィエルドからリバプールに加入したガブリエル・パレッタにとってもほろ苦いものになり、わずか1年でイングランドを離れた。
アンフィールドではたった8試合しか出番のなかった元イタリア代表のセンターバックは、アルゼンチンU-20代表だった当時を振り返り、頭では理解していたものの、気持ち的にはちょっぴり恐怖があったと吐露した。
「(20歳以下の)ワールドカップの後、リバプールが僕のことを注目してくれたんだ。」
「アルゼンチンからイングランドに行くのは、少し躊躇した。納得できなかったわけじゃないけど、ちょっと怖かった。」
「アルゼンチンのリーベル・プレートも僕を欲しがっていた。結局、当時の代理人と一緒にリバプールを選んだんだ。僕にとっては信じられないような変化だった。」
「そのリバプールは、ラファ・ベニテスが率いる素晴らしいチームだった。あの1年は、グループ内のルールを理解するのにとても役立った。何をすべきかを教えてくれる優秀な人たちもいた。」
「アルゼンチンではあまり動かないから、戦術的な面でも役に立った。あの1年は、ほとんど試合に出られなかったけれど、僕を成長させてくれた。」
「最初の試合(リーグカップのレディング戦)では、サポーターの前でゴールを決めたんだ。とても良かったよ。」
「それから、あまり良い思い出ではないけれど、ACミランとのアテネでのチャンピオンズリーグ決勝を覚えている…スタンドにいたし、ベンチにはいなかったけれど、スタジアムにいたよ。」
「決勝戦だからと準備したのは確かだが、他の試合と違ったという記憶はない。試合後の感想は?もちろん悲しかった。でも、多くの人がすでに優勝を決めていた。」
「彼らは間違いなく落胆していたが、優勝を決めた選手たちはあまり悲しんでいなかった。でも、ミランにとっては間違いなくリベンジだった。」
Milan TV
リバプールを退団した後は、母国のボカ・ジュニアーズに加わり、ふたたびキャリアを取り戻した。2010年からはパルマやACミラン、アタランタの3クラブで8年間に渡ってプレー。中国や無所属期間を経て、2019年から2023年までイタリアのモンツァに在籍後、同年に現役を引退した…