ユルゲン・クロップ政権で、キャプテンを任させて、数々のタイトルを掲げたイングランド代表MFジョーダン・ヘンダーソン。キャプテンシーだけではなく、無尽蔵のスタミナでピッチ全体を走り回り、対戦相手に対して強烈なプレッシングを仕掛ける原動力にもなっていた。
2023年の夏には、中盤の再構築で出番が少なくなるタイミングでサウジアラビアに新天地を求めた。ところが、中東での生活に馴染めずに、半年間だけでアヤックスに移籍し、ヨーロッパ復帰を果たした。
この夏の移籍市場において、サンダーランドなどプレミアリーグ復帰の可能性が示唆されるヘンダーソンだが、ブレンダン・ロジャーズ政権ではチームの中心になりきれず、リバプール退団の話も数多く出回っていた。
遡ること2012年。イギリス人指揮官は、ヘンダーソンを譲り、当時フラムで活躍していた元アメリカ代表MFクリント・デンプシー獲得を狙っていた。金銭での移籍ではなく、選手のトレードを画策していたが、最終的には取引は実らなかった。
当事者のデンプシーは当時の出来事を振り返ると、移籍成立が間近に迫っていたと語った。ただし、ヘンダーソンが移籍を拒んだことによって、アンフィールドでプレーする機会はなくなったと明かした。
「私とジョーダン・ヘンダーソンのトレードになりそうな 状況だったけど、彼がフラムに来たがっているかどうかもわからなかった。」
「彼らが大金を使うような状況ではなかった。ちょっとした マネーボールのようなことをしていたんだと思う。」
「ジョーダン・ヘンダーソンとアンディ・キャロルに対してすでに大金を費やしていたから、もう少し年齢が上の選手のために方法を見つけようとしていたんだと思う。」
「私自身は彼らのスタイルに合っていたと思う。というより、ブレンダン・ロジャーズのプレースタイルに合っていたと思う。」
「左サイドでプレーし、右足でカットインする…フラムでやっていたような感じだった。でも、ジョーダン・ヘンダーソンはその変化を望まなかったし、結果的に彼にとっては最高の選択だった。」
「彼は最終的にチャンピオンズリーグとプレミアリーグを制覇した。だけど、もう少しで実現しそうだったんだ。」
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