首都マドリードから南に約22.5km。フエンラブラダに生まれたフェルナンド・トーレスは1995年に転機を迎える。アトレティコ・マドリードのアカデミーに入団し、各カテゴリーを駆け上がっていく。スペイン代表でもU-16レベルから常に名を連ね、大舞台に立ち続けた。
2001年には弱冠16歳でトップチームへデビューを果たし、36試合6ゴールとプロキャリアの一歩を刻んだ。2部に低迷していたチームの1部昇格にも貢献し、シーズンにも29試合13ゴールと、一気にクラブを代表する選手へと飛躍を遂げる。2003/04シーズンにはわずか19歳でキャプテンを務め、どこからか『神の子』と評されるほどに。
若きストライカーをヨーロッパのビッグクラブが放っておくはずもなく、2007年に当時クラブ最高額(約2000万ポンド(約28億円))でリバプールへと完全移籍を果たし、6年契約を締結した。プレミアリーグでは2戦目
となったチェルシー戦で早速ゴールを記録すると、加入1年目で全大会46試合33ゴールと驚異的な数字を残し、移籍前の期待を裏切らない結果でサポーターを歓喜させた。
とくにトップ下のような役割を与えられたMFスティーブン・ジェラードとの相性は抜群。一瞬の加速とスピードで相手のディフェンスをきりきり舞いにすると、正確な決定力で着実にゴールを積み重ね続ける。相手の重心を外すドリブルで抜き去ることもでき、そうかと思えば抜く前に右足を振り抜き、ゴールキーパーが届かないところにカーブのかかったボールを突き刺す。
まさにゴールスコアラーの名に恥じない活躍を続けたスペインの神童は、リバプールに在籍した3年半で142試合81得点20アシストと信じられない成績を残した。残念ながらリバプールがチグハグなクラブ運営をしていた煽りを受け、タイトルとは無縁。クラブレベルでの名誉を求め、2011年1月にプレミアリーグのライバルでもあるチェルシーへと移籍し、リバプールファンからは壮絶な反感を買ってしまった。
最高のパートナーとして数多くのゴールを演出したジェラードも退団には落胆していたようで、2021年にはインタビューでは、ベストプレーヤーに元スペイン代表FWを挙げ、リバプール退団には胸が裂けるような思いであったと告白している。
「トーレスと一緒にプレーした時間は短すぎた。チェルシーに移籍してしまい、心が打ち砕かれた。」
「毎試合での継続性でベストプレーヤーは誰か問われれば、スアレスは野獣だった。でも、一緒にプレーした気持ちだけを考えると、トーレスとのプレーは最高な日々だったよ。」
「(トーレスの退団に)僕はほんとに、ほんとに落胆した。上位チームとのギャップを少しでも縮めて、チャレンジするためにも、僕たちはともに努力を積み重ねていたんだ。」
「トーレスとの関係性は素晴らしく、当時は多くのゴールを奪っていた。キャリアのピークでもあり、最高のパフォーマンスを披露できていた。」
タイトル獲得という意味では移籍は成功であった。2011/12シーズンにはチャンピオンズリーグ、翌シーズンにはヨーロッパリーグを制覇するなど数多くの栄光に輝いた。一方、チェルシーのシステムなども影響し、個人成績は低迷し、チェルシー在籍期間で172試合45ゴール35アシストと、リバプール時代との単純比較で30試合が多いにもかかわらず、得点数は40近くも減少してしまった。
プレミアリーグでキャリアの絶頂期を過ごしていた頃は、スペイン代表でも中心選手として躍動し、世界最強の名を欲しいままにしていた。シャビやアンドレス・イニエスタ、カルレス・プジョル、ダビド・ビジャら世界最高峰の選手たちに加え、セルヒオ・ラモスやジェラール・ピケ、セルヒオ・ブスケツら有望な若手が見事に融合した代表チームは、2008年から2012年にかけてユーロ連覇とW杯制覇という快挙を次々と成し遂げた。
少しずつパフォーマンスレベルが落ちていたストライカーは、30歳でACミランにローン移籍。初めてのセリエAを経験すると、2015年には古巣アトレティコ・マドリードに復帰。その昔の輝きはなくなったが、2015/16シーズンには12ゴールを決め、クラブ通算100ゴールを達成した。
順風満帆なサッカー人生を送った元スペイン代表が最後に選んだのは、まさかの日本。2018年7月にサガン鳥栖への加入が発表されると、約1年のあいだJリーグでプレー。2019年6月には現役引退を発表し、スペイン代表の黄金期をともに謳歌したアンドレス・イニエスタやダビド・ビジャが所属していたヴィッセル神戸との対戦が現役最後の試合となった。
次のキャリアとして選んだのは、指導者。スペインサッカー連盟のプロコーチング・ライセンス・コースを修了したフェルナンド・トーレスは、古巣でもあるアトレティコ・マドリードBのコーチとして採用された。UEFAが発行するプロライセンスを受領するには、U18カテゴリー以下での6ヶ月以上にわたる実務経験が必要になるため、コーチング・キャリアの一環となる。
個人的な理由でチーム去ったとの情報もあり、現時点でマドリードでコーチとしてのキャリアを歩んでいるかは不透明。ただ、いつかアンフィールドでスティーブン・ジェラード監督とともにリバプールを栄光へと導く姿を拝みたい…と勝手に夢に見ている…