ブルーノ・ラージ体制2年目に突入したウルヴァーハンプトン・ワンダラーズは、新たなチーム作りに着手。降格したバーンリーから若手DFネイサン・コリンズを加え、中盤にはポルトガル代表MFマテウス・ヌネスやゴンサロ・ゲデスが加入。移籍市場の締切ギリギリには、オーストリア代表FWサーシャ・カライジッチを獲得した。
サーシャ・カライジッチは加入直後に負傷してしまい、代役としてフリー状態になっていた元スペイン代表FWジエゴ・コスタ獲得に迫っている。中でも守備陣は刷新され、ロマン・サイスやウィリー・ボリーら昨季の主力センターバックを売却。最も驚いたのは、クラブに長年貢献し、今季もスタメンかと思われたイングランド代表DFコナー・コーディー放出だ。
23歳DFマックス・キルマンと新加入DFネイサン・コリンズがセンターバックの先発に選ばれ、4バックに移行した同クラブにおいて、カタールW杯出場を目指すコナー・コーディーは出場機会を求めて、フランク・ランパード監督率いるエバートンにレンタルで加入。
マージーサイド・ダービーでのライバルクラブでもあるリバプールの下部組織で育ち、2試合とは言えどもリバプールで出場した過去を持つだけに、今回の移籍はサプライズだった。
先日のダービーマッチでは、オフサイドで取り消しになったものの、ゴールを決めた際にはゴールセレブレーションを惜しげもなく披露しており、アンフィールドではブーイングは避けられないかもしれない。
クラブ間のレベル差があるため、マンチェスター・ユナイテッド移籍よりは禁断と言えない。それでも、同地区のライバルチーム加入は好ましくない。無論、サッカーの歴史上でも両クラブでプレーした選手は少ない。
とはいえ、元ウルブスDFのように禁断の移籍を選択した選手がいるのも事実。どのような選手たちが “赤と青” 両方のユニフォームを着てプレーしたのか… ざっと振り返ってみよう。
ニック・バーンビー|エバートン:1996 – 2000 リバプール:2000 – 2002
1996年に当時のクラブレコードでエバートンに加わった元イングランド代表MFは、126試合に出場し主力として活躍。4年間を過ごし、約半額の移籍金で2000年にリバプールに移籍。
エバートンからリバプールへの直接的な移籍は、1959年まで遡る。デイブ・ヒクソンがエバートンに売却され、地元のライバルチームに移籍を果たしていた。
デヴィッド・バロウズ|リバプール:1988 – 1993 エバートン:1994 – 1995
ウェスト・ブロムウィッチ・アルビオンからリバプールに加わった左サイドバックは、5年間の在籍で193試合に出場し、レギュラーとしてチームの勝利に貢献。
ウェストハムでの1年間を挟み、1994年にはエバートンに移籍したものの、19試合でインパクトを残せず、1年保たずにコヴェントリー・シティ移籍を余儀なくされている。
ドン・ハッチソン|リバプール:1990 – 1994 エバートン:1998 – 2000
ケニー・ダルグリッシュやグレアム・スーネスらリバプールの最強時代を築いた元選手たちの指揮のもとリバプールでプレーし、60試合10ゴール10アシストを記録。
1990年にウェストハムに売却されたが、2000年にはふたたびマージーサイドへ。一時はキャプテンを任され、エバートンでの試合数は “83” を数える。
サンデル・ヴェステルフェルト|リバプール:1999 – 2001 エバートン:2006
1999年にフィテッセからリバプールに活躍の場を移した元オランダ代表GKだが、ミスも目立ち徐々に立場を失い、アンフィールドではわずか2年の在籍となった。
2006年にはゴールキーパーに負傷者が相次いだエバートンに加入。たった2試合の出場で、グディソン・パークの印象がないのが正直なところだろう。
アベル・シャヴィエル|エバートン:1999 – 2002 リバプール:2002 – 2003
ポルトガル代表でも20試合に出場した右サイドバックは、最も直近でのエバートンからリバプールに直接渡った選手だ。
しかし、アンフィールドでの生活は長く続かず、ASローマやミドルズブラ、ロサンゼルス・ギャラクシーといったクラブを渡り歩き、2008年に現役を引退している。
アンディ・ロナーガン|リバプール:2019 – 2020 エバートン:2021 –
リバプールではトップチームでのプレー経験はなく、ベンチ入りすら記憶にない。それでも、4番手ゴールキーパーとしてアリソン・ベッカーやアドリアン、クィービーン・ケレハーを支えた。
エバートンでも同じような立場にあり、どちらかのクラブに寄ったイメージはない。そのため、あまり波乱を呼ぶ移籍ではなく、応援する声も多いことだろう。