右サイドを引き締める目立たない仕事人 – アイルランド代表でも活躍したスティーブ・フィナン

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steve finnan レジェンド

アイルランドのシャノン川のほとりにある州都リムリックで生まれた少年は、ウィンブルドンFC下部組織から16歳で放出され、れんが職人への道も考えつつ、ノンリーグのウェリング・ユナイテッドFCと契約を結ぶ。苦労人はバーミンガムを経て、ノッツ・カウンティに完全移籍。活躍が認められ1998年にケビン・キーガン率いるフラムへと移籍。当時3部にいたフラムとともに、プレミアリーグへの舞台へと駆け上がる。

基本情報

名前:スティーブ・フィナン(Steve Finnan)

誕生日:1976年4月24日

出身:アイルランド リムリック

ポジション:右サイドバック

経歴:ウィンブルドン → →ウェリング → バーミンガム→ノッツ・カウンティ → フラム→リバプール→エスパニョール→ポーツマス

リバプールにおける成績 03/04 – 08/09 試合数:217|出場時間:18.015分|ゴール:1|アシスト:16

守備的な監督の就任が転機に

監督が代わり臨んだプレミアリーグ初年度は順風満帆そのもの。チーム最優秀選手に選出され、プレミアリーグベストイレブンにも選ばれた。プレミアリーグでの活躍により、リバプールに引き抜かれたものの、加入初年度は負傷もあり苦しむ。転機は翌年にラファ・ベニテスが就任したこと。

守備の安定を第一に考える指揮官は、スティーブ・フィナンのパフォーマンスの安定性を高く評価。それまでライトバックで競争していたジェイミー・キャラガーがセンターバックへとコンバートすると同時に、右サイドバックのスタメンに定着。大きなケガなく出場し続け、在籍した5年間で217試合出場16アシストを記録。

出場機会が目減り…

アルバロ・アルベロアが加入した2007年以降は、ベニテス監督の同郷DFを重宝するようになり、出場機会は減少。年齢も30歳を超えており、リバプールでの将来に陰りが見え始めた2008年に自身初めてとなる海外移籍で、スペインのエスパニョールへ移籍。しかし海外挑戦は1年で終わりを迎え、翌年にはポーツマスへ加入。さらにその1年後には、フットボールからの引退を決めた。

元アイルランド代表DFは、プレミアの舞台では1ゴールしか奪っていない。元々ディフェンスに重きを置くタイプのDFであり、クロスから数多くのアシストを記録。得点とは対照的にプレミアリーグで11アシスト。トレントと比べると少ない印象しか残らないが、かつての右サイドバックの役割を考えると、それほど驚きではない。

こちらがスティーブ・フィナンがPLで唯一決めたゴール:

フィナンはどこだ?

引退後はサッカーに関わることなく、表舞台から姿を消したフィナン。2015年には珍事が起こった。「イスタンブールの奇跡」の10周年を祝うためのイベントが開催されたが、その場にフィナンが見当たらない。実は運営会社が連絡先を知らずに、出席依頼ができなかったそう。ハッシュタグ #FindSteveFinnan がツイッターで盛り上がるほど注目の的になった。

Istanbul reunion

のちに地元紙の記者が本人に連絡を取り、無事解決。フィナン自身は「僕は生きているよ」とメッセージを伝えていた。ロンドンで不動産会社「Finnan Developments」を兄弟ショーン・フィナンとともに営み、忙しい日々を送っている。

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スティーブン・ジェラードやジェイミー・キャラガー、シャビ・アロンソなどと比較すると、どうしても影に隠れる存在。それでも、リバプールでの功績は評価されるに値する。一度でいいから、チャリティー・マッチでプレーする現在のフィナンの姿を見せて欲しい…と切に願う。

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