現役時代にはイタリア代表にも選出されるほど、ASローマを中心に活躍したアルベルト・アクィラーニ。地元ローマで頭角を現したミッドフィルダーは、2009年の夏にリバプール移籍。負傷を患ったまま、イングランド・サッカー挑戦へと歩みを進めた。
プレミアリーグではブレークとまではいかなかったが、スタープレーヤーたちとのプレーに心を躍らせていた。中でも、元イングランド代表MFスティーブン・ジェラードは別格で、一緒にプレーしたベストプレーヤーとして真っ先に名前を挙げており、同じピッチでプレーできるのは夢見心地だったようだ。
また、当時所属していた選手たちを振り返り、試合だけではなく、トレーニングでの裏話も披露している。
「間違いなく、ジェラードだね。」
「ジェラードが最初に浮かぶし、違うレベルにいる。」
「彼は最高だった。時々、彼と一緒にプレーした試合のハイライトを見るけど、彼のそばでプレーできたことは、僕にとって夢のようだったよ。」
「アンフィールドでのプレーも夢見心地だった。テレビでリバプール・サポーターがいつも歌っているのを見ていたし、期待していた通りでした。」
「コップについては全員知っているし、”You’ll Never Walk Alone”も有名。リバプールのことを知らない人はいない。」
「あのスタジアムでのプレーは最高だった。このビッグクラブでサッカーできること自体、夢のようでした。」
「チーム内には、他にもトーレスのような非常に優れた選手がいたし、あの年のトーレスは止められなかった。」
「マスチェラーノやグレン・ジョンソン、ペペ・レイナ、ディルク・カイト。マスチェラーノはタフな選手で、トレーニングにおいてはとってもアグレッシブだったのを覚えている。アグレッシブさは圧倒的だったね。」
「ゴール前でのトーレスは脅威そのもので、まさにトップスコアラーだ。スターリングの若かりし頃も覚えている。彼が16歳のとき、たまにトップチームでの練習に参加し、一緒に親善試合していく中で、才能を感じていたよ。」
「グレン・ジョンソンは、僕にとって偉大な選手でした。フィジカルに恵まれ、なんでもできる。攻撃でも、守備でも、すべてをこなせる。」
「(ジェイミー・キャラガーとは)あまり多くの会話がなかった。」
「彼が僕について話しているのをたまに見たけど、あまり印象は良くなかったし、同じようなことはしたくなかった。とはいえ、彼は素晴らしい選手だったよ。」
the ECHO
世界的な選手たちに囲まれつつも、怪我の影響で開幕ダッシュに失敗。シーズン途中から出番を増やしたものの、絶対的な存在にはなれずに、2年目に闘志を燃やしていた。
しかし、チーム状況は悪化の一途を辿る。成績不振からラファ・ベニテス監督が退任してしまい、同選手の獲得を熱望した指揮官がクラブを去ってしまった。後任のロイ・ホジソン監督の構想には入れず、実力を証明する前にユベントスへのレンタル移籍が決定。
2年目での挽回を目指していた矢先のスペイン人監督の解任劇。新たなに移籍を司るスポーツ・ディレクターも加わり、様変わりしたクラブの当時の様子を思い起こし、赤裸々に気持ちを吐露している。
「ほんとに良いチームに、良いコーチだった。」
「でも、あまりにもプレーさせてくれなかったので、コーチ陣に腹を立てたこともあった。」
「シーズンを終えて、常に集中していた。最初のシーズンは怪我の影響もあり、またイタリアを離れて初めてのシーズンでしたが、次のシーズンで挽回できる。」
「新しいチームでは、もう1年必要だということを知っておかなければならない。僕の場合、この1年はそれほど悪いものではなかった。状況は悪かったけど、すべてが悪いわけではないね。」
「実際には多くの時間を失ったけど、クラブやチームメイト、監督とは良い関係性を築き、来シーズンに期待していた。」
「しかし、何が起こったのか?ベニテス監督がいなくなり、ロイ・ホジソン新監督がやってきた。さらには、ダミアン・コモリ新スポーツ・ディレクターも加わり、彼ら好みの選手たちを連れてきたがった。チームに在籍し、契約も残っていたが、お気に入りにはなれなかった。」
「これがサッカー。正しい決断をしなければならないし、信じなければいけない。自分ではまだまだ活躍できると信じたけど、現実にはならなかった。1年は決して長い期間ではない。」
「特に気に入らないのは、すべてが短すぎたこと。クラブでの時間も、ピッチでの時間も短すぎた。出場時間はもっと多くなければならなかったはずで、それが問題だったのでしょう。」
「多くの人々は、クラブが多額の資金を投じたにもかかわらず起用しなかったため、僕のことを失敗作だと思っています。その通りで、彼らは正しい。でも、その背景にはいろいろなことがあったんだ。」
the ECHO