2006年にリバプールに加わったデンマーク出身DFダニエル・アッガーは、次世代を担う有望なセンターバックとして大きな期待を背負った。ディフェンスの能力はもちろんのこと、左足から繰り出される強烈なシュートで貴重な得点を奪うなど、攻撃においても印象的なプレーを披露。
幾度となく負傷を繰り返し、たびたび戦線離脱を余儀なくされる中でも順調に成長。2012年からはブレンダン・ロジャーズ監督がリバプール指揮官に就任するものの、初年度はスタメンの座をしっかり確保した元デンマーク代表DFは、39試合でスターティング・イレブンに名前を連ねた。
新指揮官の信頼を得て、翌シーズンには2013年に現役引退したジェイミー・キャラガーから副キャプテンを引き継ぎ、名門クラブを率いる役割が待ち受けるかに見えた。しかし、元フランス代表DFママドゥ・サコの加入で全てがもろくも崩れ去った。
ママドゥ・サコに先発を追われるだけでなく、ロジャーズ監督お気に入りのコロ・トゥーレにもプレー時間で先を越され、スタメンはわずか16試合のみ留まった。
2013年にはバルセロナが関心を示し、具体的なオファー提示まで至った。ロジャーズ監督と話し合ったアッガーは残留を決断。ただし、そのシーズンで出番を減らしてしまった同選手は、当時の監督の言葉を疑っている。
「良いオファーがあった時には、(ブレンダン・)ロジャーズ監督に、もし私を計画の一部として見ていないのであれば、私は去るし、もし残留を希望するのであれば、契約を全うすると伝えた。」
「リバプールでの生活はとても楽しかった。家族もリバプールを愛していた。でも、もしロジャーズ監督が100%自信がないと言っていたら、チームを去っていただろう。」
「監督は残留して欲しいと伝えてくれたけど、真意は疑わしい。」
「今思えば、もし2013/14シーズンがどうなるかわかっていたら、前年の夏に”バルサに行きたい”と言っていたはずだ。」
The Athletic
2014年の夏に古巣ブレンビーIF復帰を決めた同選手は、以来ロジャーズ監督と会話するチャンスには恵まれなかった。それでも、チャリティーイベントに参加した際に、現レスター・シティ監督と対話する直前だったが、結局は話せずじまいだったようだ。
「ロジャーズ監督とは、数年前にカスパー・シュマイケル夫妻がデンマークで開催したチャリティーイベントで再会した。」
「終わってから話をしてもいいかと聞いたら、『いいよ』と言ってくれたんだけど、話をする前に消えてしまったんだ。」
「今でも彼とは話したいと思っている。悪い感情はないけど、当時何が変わったのか、話すべきことがあるはず。」
「聞くところによれば、別人のような監督になっているらしい。人は失敗から学ぶ。」
The Athletic
今では監督が下した当時の決断には苛ついていないようだが、なぜ残留を促したのか説明を強く求める元リバプールDF。2013年の仲違いを解消し、和解をする日は来るのだろうか…?