リバプールに生まれ、アカデミーを経て、トップチームでも堂々たる成績を残したスティーブン・ジェラード。プレミアリーグこそ優勝できなかったが、チャンピオンズリーグを制覇し、クラブのレジェンドとして名を刻んだ。
キャリアの終盤には中盤の底にポジションを移したが、年齢による衰えには逆らえず、当時指揮を執っていたブレンダン・ロジャーズ監督のもとでプレー時間が減少傾向に。出場機会を求めて、2015年の夏にロサンゼルス・ギャラクシーに移籍した。
そして、その数ヶ月後に、リバプールは転換の時を迎えた。2015年10月に、ドルトムントをブンデスリーガのトップクラブに押し上げたユルゲン・クロップ監督がアンフィールドで指揮を執ることになり、そこからの実績はご存知の通り。
ほんの少しだけ前に退団した元イングランド代表MFは、当時の決断をいまでも後悔しており、ロジャーズ監督政権を我慢してまでも、クロップ監督から指導を受けたかったと率直な気持ちを吐露している。
「打ちのめされたよ。アメリカ行きのために1年間の延長契約を結ばないという決断をしたが、もし延長していたら、ユルゲン・クロップの指導のもとで半年間プレーできたかもしれない。」
「でも、当時はブレンダン(・ロジャーズ)の指揮下だったから、試合に出られる時間はどんどん減っていった。」
「リバプールでサブになりたくなかったし、チームプレーヤーにもなりたくなかった。当時はまだ、自分が最高のミッドフィルダーだと感じていたんだ。」
「でも、今にして思えば、もし100%何が起こるかわかっていたら、1年延長にサインしていただろうし、クロップの6ヶ月を得るために、ブレンダンの4~5ヶ月を我慢していたに違いない。」
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ダイナミックなプレースタイルで観客を魅了し続けたジェラードだが、チームを退団した時点で将来を推察することは難しかった。クロップ監督も1年間の休息に入ると見られていたし、マンチェスター・ユナイテッドなど強豪クラブも触手を伸ばしており、争奪戦は熾烈を極めていた。
あくまで結果論でしかなく、誰にでもある後悔の類。指揮官としては、レンジャーズで大成功を収めたが、アストン・ヴィラでは失敗。いまではサウジアラビアで指導している同監督だが、ふたたびヨーロッパを舞台に活躍する未来はやってくるのだろうか…?