エバートンからもオファーが届いていた…元リバプールMFジャーメイン・ペナントが、マージーサイド移籍の裏話を明かす!

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エバートンからもオファーが届いていた...元リバプールMFジャーメイン・ペナントが、マージーサイド移籍の裏話を明かす! 移籍

遡ること、2000年の始め。当時アーセナルのアカデミーを経て、トップチームに昇格した若きMFジャーメイン・ペナントは、アーセン・ベンゲル監督率いるチームにおいて出場機会の確保に苦戦し、ワトフォードやリーズでレンタル移籍を経験した。

毎週のようにプレーできる環境を求めていたアタッカーは、半年間のローン移籍後、2005年7月にバーミンガムに完全移籍を果たした。同クラブでは通算60試合で3ゴール6アシストを記録し、強豪クラブから関心を集める存在になった。

そして、来る2006年7月、リバプールにステップアップを遂げた同選手は、子供の頃から憧れ続けたアンフィールドの舞台に立つ。通算81試合で3ゴール18アシストの数字を残すも、本領を発揮したとは言い難く、2009年の夏に契約満了とともにスペインに旅立った。

リバプールに移籍した際には、マージーサイドのライバルチームからもオファーが届いていたようだ。ペナントは当時のモイーズ監督が獲得を熱望したものの、夢を叶えるためにも、エバートンからの話を断っていたと明かした。

「僕が(アーセナルに)出て行くと言ったんじゃなくて、代理人が言ったんだ。翌シーズンにエバートンが引き抜きに来たんだ。」

「エバートンが交渉に来たんだと思う。」

「デイビッド・モイーズがオファーを提示した。アーセナルがそれを受け入れたかどうかはわからない。でも、僕の代理人が、 “アーセナルはそれを受け入れたかもしれない” 言ったんだ。」

「ただ、代理人が僕に言ったんだ…僕は小さい頃からずっとリバプールのファンだったから。」

「それで彼は、 “いいか、もしエバートンでプレーするなら、リバプールでは絶対にプレーできないぞ” ってね。」

「僕は、 “でも今はこれがトップチームのサッカーなんだ。トップチームでのプレーが保証されているんだ” という感じだった。」

「そして、”わかった。交渉を(エバートンからのオファー)受け入れない” と伝えた。 そして、それを断った。」

「とても勇気のいる決断だった。だって、僕は不遇の中にいて、プレーしたかったんだ。当時、エバートンはそれほど悪いクラブではなかった。当時は降格争いをするようなチームじゃなかった。」

「無事に終わることは分かっていたし、うまくいけば、その時に蹴ることができる。」

「でも、僕の中の何かが、 “今は良くても、長い目で見れば…” と言ったんだ。だから、エージェントに “いや、やりたくない” と伝えたんだ。」

「僕の夢はリバプールでプレーすることと、チャンピオンズリーグでプレーすることだった。それが夢だったんだよ。」

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