「ロイ・ホジソンを監督にしたくなかったんだと思う」ポール・コンチェスキーが、リバプール移籍のジレンマを明かす!

スポンサーリンク
「ロイ・ホジソンを監督にしたくなかったんだと思う」ポール・コンチェスキーが、リバプール移籍のジレンマを明かす! キャリア

トム・ヒックスとジョージ・ジレット。共同でオーナーシップを保有していた時期のリバプールは、混迷を極めて、補強も統一感がなく、成績も低迷し続けた。今ほどプレミアリーグの競争力がなく、下位に沈むことはなかったが、いまであればマンチェスター・ユナイテッドやトッテナム・ホットスパーのような事態に陥っていたもおかしくはなかった。

両オーナーは2010年にチームを売却し、フェンウェイ・スポーツ・グループが新たなオーナーに就いた。そこから復権を遂げるリバプールだが、2010年代の初めの頃はまだまだ方針が固まっておらず、人事周りもチグハグな状態が続いた。

2010年の夏、フラムで活躍していた元イングランド代表DFポール・コンチェスキーはアンフィールドに新天地を求めた。背景には当時監督に就任したロイ・ホジソン監督に請われる形で、リバプールへとステップアップを果たした。

同監督は成績不振から半年間で退任の憂き目に合い、それに伴いコンチェスキーも居場所を失った。すぐさまノッティンガム・フォレストにレンタル移籍し、2011年の夏にはレスター・シティへと旅立った。

決して順風満帆のアンフィールド生活とは言えない元イングランド代表の左サイドバックは、リバプール移籍に後悔はないとしつつも、オーナー陣がホジソンに全ベットしていない状況での移籍はあまり好ましいものではなかったと認めた。

「自分のキャリアで後悔したことはあまりないんだ。」

「今になって後悔しているか?起こったことだけにね。」

「でも、僕は29歳で、歴史あるビッグクラブのひとつに行くことになった。それを断ることはできないよ。」 

「クラブがオーナーと変わろうとしていたのは知っていたけれど、水面下ではそれほどではなかった。クラブにとって難しい時期だった。私にとっても難しい時期だったし、おそらく今ならそうはならないだろう。」 

「当時は、今思えば、ロイ・ホジソンを監督にしたくなかったんだと思う。僕はロイが獲得した選手のひとりだった。だから、それは常に難しいことだったんだ。」

 「でも、もし29歳で誰かがやってきて、それがリバプールのような重厚な歴史を持つクラブだったら、誰もが食い下がると思うよ。それに、夢が叶ったんだ。」

「そこから多くを学んだし、素晴らしい選手たちとプレーしたし、その過程で素晴らしい人たちにも出会った。」 

「もちろん、スティービー(・ジェラード)がファンタスティックな選手であることは知っていたが、彼は基準を設定し、毎日その基準を達成し、みんなに適切なトレーニング、適切な回復、適切な食事をさせる。」 

「まるでマネージャーのようだった。彼の基準では、誰もがそうしなければならない。もしそうしなければ、彼はすぐにあなたに言うだろうし、あなたはクラブにいられなくなり、嫌われることになる。」 

「でも、あそこではファンタスティックな選手たちとプレーしたよ。ルーカス・レイバは、目立たない選手だったと思うけれど、偉大な選手だったからね。ラウル・メイレレス….マルティン・シュクルテルやダニエル・アッガーと一緒にプレーするのが好きだったから、全員の名前を挙げることができる。でも、あれはファンタスティックなグループだったし、うまくいかなかったのは残念だった。」

「入団時に応援してくれたファンには今でも感謝している。大多数は僕を必要としていなかっただろうけど、何人かは望んでいた。そして、僕を必要としていなかったけど、応援してくれた人たちには本当に感謝しているし、彼らの成功を祈っている。」

the ECHO
キャリア
スポンサーリンク
スポンサーリンク
スポンサーリンク
シェアする
タイトルとURLをコピーしました