リバプールアカデミーから生まれた早熟の天才 – マイケル・オーウェン

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オーウェンとウリエレジェンド

イギリス北西部にあるチェシャー州の州都チェスターで生まれ育ったマイケル・オーウェンが13歳でいくつかの競合クラブからのスカウトの中、リバプールを選んでから世界を席巻するまで長くかからなかった。

1997年5月にトップチームデビューを飾ると早速ゴールを奪う。翌シーズンには当時の絶対的エース、ロビー・ファウラーの負傷などもあり主力として活躍し、18歳ながら23得点を記録。ワンダーボーイの誕生である。

希代の得点感覚をイングランド代表も放っておかない。1998年チリ代表との親善試合でデビューをはたすと、同年ワールドカップフランス大会のメンバーにも選出される。大会当初はスタメンでなかったが、途中出場でゴールを決めるとスタメンに定着。デイビッド・ベッカムからのパスを巧みなコントロールとスピードでアルゼンチン守備陣を切り裂いたゴールはいまでも語り継がれるほど。

W杯後の1998/99シーズンも23得点を決める一方で、同時期からハムストリングの負傷に悩まされ、翌シーズンは12得点と振るわなかった。それでも、2000/01シーズンからの3シーズン連続で20ゴール以上を奪い、リバプールのエースとして君臨した。オーウェンの活躍と度重なるケガにより、”ゴッド”とまで呼ばれたファウラーは2001/02シーズンにリーズ・ユナイテッドに移籍している。

クラブでの活躍もあり、イングランド代表としても不動の地位を確立し、EURO2000、2002 FIFAワールドカップ、EURO2004に出場しゴールを奪ってみせた。とくにリバプールでも同僚であったエミール・へスキーとのコンビは相手ディフェンスを恐怖に陥れ続けた。2001年には、ファン・ダイクですら獲得ならなかったバロンドールを受賞。名実ともに世界No.1ストライカーとなった。

リバプールのエースからスター軍団ひとり

そんなシンデレラストーリーも、EURO2004からは目に見えて影を潜めていく。ラファ・ベニテスがリバプール監督に就任したこの年、オーウェンはレアル・マドリッドに移籍。選手層の厚さからスタメンにはなれず、16ゴールを奪ったにも関わらず、1年でのプレミアリーグ復帰を果たす。復帰先はニューカッスル、リバプールではなかった。

皮肉にも2004/05シーズンはリバプールにとってメモリアルなシーズンとなった。リーグでは振るわなかったが、チャンピオンズリーグでACミラン相手に3点ビハインドから追いつき、PK戦の末トロフィーを掲げた。イスタンブールで行われた試合は、「イスタンブールの奇跡」として語り草になっている。

ニューカッスル加入後はケガの影響で試合に出れない日々を過ごすことも多く、2007/08シーズンに記録した13ゴールが最高。20代中盤だった年齢を考えるとまだまだ老け込む年齢ではなかったが、ケガに泣かされ続けた。

ライバルへの禁断の移籍

その後、リバプール最大のライバルであるマンチェスターUに移籍。主に控えとして途中出場も多く、プレー時間およびゴール数は伸び悩み続ける。この移籍は批判の対象になっていたことは言うまでもない。

33歳という若さで引退したオーウェンだが、引退の地はストーク・シティ。たった9試合1ゴール。2013年5月19日に途中出場した試合を最後に現役生活に幕を閉じた。

10代後半から20代前半に称賛を欲しいままに活躍したが、ケガに泣かされ、早熟すぎたワンダーボーイはキャリア後半は輝くことを忘れた。スピードが最大の武器だったオーウェンなだけに、成長やトレーニング、加齢によって衰えを隠せなかったのかもしれない。

オーウェンが語る真実

後日談だが、40歳となったオーウェンはインタビューでこう答えている。

「20歳の時点では、同年代の中ではおそらく世界で最高の選手のひとりだった。ただケガで成長が鈍化していき、23歳をピークにパフォーマンスは下降線の一途を辿っていった。」

近年はBTスポーツの解説者として活躍する一方で、”Harry’s Heros”にも出演するなど、サッカー関連番組への露出を増やしている。

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