いまもなお愛され続ける、そして愛し続ける…プレミアリーグを代表する守備的MFルーカス・レイバ

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Lucas Leiva is one the greatest defensive midfielders, who is beloved by Liverpool supporter even now レジェンド

2007年7月1日にグレミオ(ブラジル)から若手ミッドフィルダーがリバプールへと加わった。ブラジルU-20代表ではキャプテンを務めた逸材だが、当時スティーブン・ジェラードやシャビ・アロンソ、ハビエル・マスケラーノと強力な中盤を誇っていたチームにおいて、熾烈なポジション争いに飛び込んだのが、ルーカス・ペッチーニ・レイバだ。

グレミオの下部組織出身で、トップチームに昇格したブラジル人MFは、ブラジル代表のアンダーカテゴリーの常連でもあり、国内では将来を有望視されたプレーヤーであった。インテル・ミラノやスペインからの興味が伝たえられたなか、リバプールを率いていたラファ・ベニテスが獲得を熱望した。

トッププレーヤー揃いの中盤において、スタメンに名を連ねることには苦労した元グレミオMFだが、全コンペティションを通じて32試合に出場。翌シーズンも先発の座を確保には至らなかったが、39試合で出番を得ることによって、少しずつチームにも、そしてイングランドサッカーにも馴染み始めた。

黄金の中盤の一角である元スペイン代表シャビ・アロンソがレアル・マドリードへと移籍した2009年からはレギュラーに定着し、全体で50試合に出場している。GKホセ・ぺぺ・レイナ、DFジェイミー・キャラガー、FWディルク・カイトに次ぐ試合数を記録し、チームの中心として活躍した。

翌年には元アルゼンチン代表ハビエル・マスケラーノもチームを去り、スティーブン・ジェラードともに中盤を引っ張る存在へと昇格し、見事な読みとタフなタックルでボール奪取する一方で、的確なパスを散らし、ジェラードの攻撃能力を最大限に活かす動きを披露していた。

ブラジル代表にも召集されることもしばしば。ナショナルチームでは22試合に出場しており、2008年に開催された北京オリンピックではブラジルU-23代表でプレー。成績は3位と頂点には届かなかったものの、銅メダルを受け取っている。

主軸へと成長を果たした矢先に不運が襲う。2011/12シーズンの折り返し地点で、靭帯断裂の大怪我を負ってしまい、シーズン終了。残りの時間を手術とリハビリに費やさなければいけなかった。完全復活を望む2012/13シーズンにもハムストリングを痛め、シーズン前半戦を棒に振ってしまう。その後も怪我により数週間〜数ヶ月の離脱を繰り返すように…

また、現キャプテンのジョーダン・ヘンダーソンや2012年に就任したブレンダン・ロジャーズ監督の秘蔵っ子ジョー・アレンがチームに加わり、チーム内の競争は激化。それでも、特長の異なる両選手に負けず劣らず、先発での出場機会を得ていたもものの、絶対的な地位の確保までは届かなかった。

2015年に途中で就任したユルゲン・クロップ監督の指揮下で、ウェールズ代表MFジョー・アレンの序列が下がった。2014年に加入したエムレ・チャンやヘンダーソンと併用される形での起用が続き、センターバックでの起用も増えた。だが、クロップ監督がキャンプから初めて指揮を執るシーズンでは、ベンチを温める日々が続いた。

結果的にはリバプールでの最後のシーズンとなったわけだが、アンフィールドでの10年間で残してきた功績は誰しもが認めるところであり、プレミアリーグでも屈指の守備的ミッドフィルダーを温かく送り出した所以だろう。最終成績は346試合7ゴール21アシスト。リーグ戦ではたったの1ゴールに終わっており、こうした部分もある意味で愛される要因だと推測する。

儲けばかりを考える共同オーナー時代から、ブレンダン・ロジャーズ監督とユルゲン・クロップ監督…変革期を迎えるまでのリバプールを支え続けた同選手は、レジェンドといっても差し支えない。パフォーマンスこそ目立たないが着実にタスクを全うする。

ピッチ上だけでなく、ピッチ外でも人間性の高さが際立つ。同胞のフィリペ・コウチーニョやロベルト・フィルミーノをチームやイングランド生活に馴染ませるために労力を厭わず、プロフェッショナルとして接していた。ジョーダン・ヘンダーソンも加入当初は助けられたと語っており、スペイン語もしくはポルトガル語圏以外の新加入選手にも手を差し伸べていた事実が窺い知れる。

2017年にセリエA・ラツィオへと完全移籍したルーカス・レイバは、リーグ最終節でサポーターから心温まる送迎を見せ、改めて人気ぶりを証明してみせた。リバプール最後の日にインタビューに応えた元ブラジル代表は、ロールコースターのような日々であったことを明かしている。

「ほんとに最高の10年間だったよ!」

「みんなも知ってる通り、リバプールでの日常は少しローラーコースターのようで、たくさんのアップダウンがあった。でも、僕の人生において毎日このシャツに袖を通せたことを誇りに思っている。」

「このクラブは人間的にも、選手としても成長させてくれた。リバプールで生まれた2人の子供もいる。子供たちがここで育ち、アンフィールドに来て、試合を観たことを将来的に自慢できるはずさ…そしてパパがリバプールでプレーしていたこともね。」

いまでも自身のSNSを通して、ことあるごとにコメントを掲載している。チャンピオンズリーグ制覇やプレミアリーグ優勝の際にも心が癒されるメッセージを投稿しており、リバプールへの愛は衰え知らず。コーチであれ、アンバサダーであれ、OBマッチであれ、ふたたびアンフィールドへ舞い戻ってくれる日を待ち望んでいる…

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