プレミアリーグ適応に苦しんだ元イタリア代表ミッドフィルダーだが、リバプール1年目を悲観せず…『10年以上、クラブに残る未来があったかも』

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Former Italy midfielder struggling to adapt to Premier League, but not pessimistic about Liverpool's first year... 'I could have had a future at the club for 10 more years' 未分類

オーナー陣の迷走に巻き込まれる形でチームとして崩壊に向かっている中、2009年の夏にリバプール加入した元ローマMFアルベルト・アクイラーニ。イタリア時代から治っていなかった負傷の影響もあり、シーズン開幕ダッシュに失敗。

シーズン中盤から出番を得ていったものの、プレミアリーグに馴染みきれずに初年度を終えた。2年目に飛躍を誓った同選手だが、獲得を熱望したラファ・ベニテス監督が退任してしまい、後任のロイ・ホジソン監督には戦力に数えられず、ユベントスへレンタル移籍の憂き目にあった。

複雑な事情も相まって、リバプールでの活躍はとても限定的に。当時としては移籍金が高かったこともあり、いまもなお失敗作に挙げられるほど迷走したクラブの被害者となった元イタリア代表MFだが、加入1年目は周囲が思っているほどネガティブなものではなかったようだ。

「正直に言うと、コンデイションが整い、プレーできたときはチームでも快適に過ごせていました。」

「あのクラブに、あのリーグで、とても居心地は良かったんだ。」

「ラファからは、“君はアロンソの代わりではない。別の特徴を持った新しい選手で、自分のできることをしっかりやらなければならない”と言われた。」

「最初の頃は、ジェラードが中盤からより前に出てプレーしていました。終盤には、ジェラードとマスチェラーノが後ろにいて、僕は10番としてプレーして、あのポジションはとても感触が良かった。」

「アトレティコ・マドリードとの準決勝は、良い試合として覚えている。シーズン中のいくつかの場面に加えて、シーズンの終わり方がとても良かったと記憶している。」

「多くの移籍金に見合ったプレー時間ではなかったけど、自分がプレーした試合においては、良い感触を得られていた。」

「アトレティコ・マドリード戦や初ゴールを決めたポーツマス戦。1試合に3アシストをマークしたバーンリー戦に、アシストで勝利に貢献したアンフィールドでのトッテナム戦など、良い記憶として残っている。」

「そのシーズンは、コンディションも良く、たくさんアシストしたけど、それだけでは十分じゃなかった。十分なプレー時間を確保できなかったし、高い報酬を支払っていたからね。」

「チームは順調ではなかった。でも、自分の調子はよくて、頭の中ではときどき”このプレーヤーたちともっとクラブに貢献できるのになー”と考えていた。」

「信じられないようなコンビネーションも構築でき、全く問題はなかった。あそこでプレーすることは、僕の野望であり、大きすぎる夢だったんだ。」

「(アトレティコ・マドリード相手に負けたヨーロッパリーグ準決勝を振り返り)もしヨーロッパリーグの決勝に進出して、準決勝でゴールを決められていたら…」

「もしかしたら、そこで僕の人生が変わっていたかもしれない。」

「ともすれば、決勝に進出し、優勝を勝ち取って、リバプールに10年にわたり残る未来があったかもしれない。」

「でも、この試合に敗れてしまった。リーグ4位以内からも、チャンピオンズリーグからも弾かれてしまったので、シーズンは最悪と言わざるを得ない。転がり降りてしまった感じだね。」

「デビュー戦は忘れられない。負けている中で途中出場し、バイシクルキックでシュート。相手が手を使ってボールをブロックした。」

「明らかなペナルティだったけど、主審は見ておらず、VARもなかった。」

「ペナルティを獲得できず、試合に負けた。あの年を象徴するような、ちょっと不運な出来事でした。」

the ECHO

少しの運が巡ってくれば、ローマからやってきたミッドフィルダーの未来は変わっていた可能性もある。ただし、低迷していたクラブ事情だけに、実力では太刀打ちできない内部での揉め事に気を取られる日々は、プレーする選手たちにとっては好ましいものではなかったはず。

それでも、前向きに次のシーズンに意気込んだ同選手だったが、運命の悪戯に翻弄された。結果的には、イングランド・サッカーに適応する前にイタリアに戻り、2度のレンタル移籍の末、フィオレンティーナに新天地を求めた…

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