元オランダ代表MFラファエル・ファン・デル・ファールトが、リバプール移籍を拒否していた過去を吐露!

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Former Dutch midfielder Rafael van der Vaart reveals his past rejection of a move to Liverpool! 移籍

アヤックスでユース時代を過ごし、その後ハンブルガーSVやレアル・マドリード、トッテナム・ホットスパーを渡り歩いた元オランダ代表MFラファエル・ファン・デル・ファールト。現役最後のクラブはエスビャウfBで、2018年11月をもって現役を退いている。

キャリアを通じて、546試合173ゴール118アシストと見事な数字を残したミッドフィルダーは、オランダ代表でも109試合25ゴールを挙げた。同世代には、アリエン・ロッベンやロビン・ファン・ペルシ、ウェズレイ・スナイデル、ディルク・カイトらが揃い、まさに黄金世代のひとりとして活躍。

2010年に南アフリカで開催されたワールドカップでは、代表チームの一員として決勝に進出。同時期に最強を誇っていたスペイン代表に惜しくも決勝で敗れたものの、ファイナル進出にレギュラーでこそなかったが、貴重な控えメンバーとして貢献した。

アヤックスに在籍していた頃、将来有望株として強豪クラブがこぞって関心をします中、当時ジェラール・ウリエ監督が指揮を執っていたリバプールも例に漏れずに獲得を試みたが、オランダや家族を愛していた若武者は、移籍のチャンスを自ら拒否した過去をカミングアウトしている。

「18歳のとき、ジェラール・ウリエがリバプールを率いており、彼は僕に電話をかけてきた。」

「しかし、リバプールへの移籍については決して真剣には捉えてなかった。当時は母親があまりにも好きだったので、 “いやいやいや、移籍したくない。頼むからアヤックスに残留させて!” ってね。」

「ウリエ監督は本当にがっかりしていた。でも僕はすぐに会話の中で、”オファーはありがたいし、うれしいけど、リバプールには絶対に行きたくない!” って言ったんだ。」

Ziggo Sport

結果的にはアヤックスに残留し、2005年にドイツの古豪ハンブルガーSVに移籍を果たしたラファエル・ファン・デル・ファールト。同クラブでは主力として躍動し、199試合66ゴール55アシストを記録し、ヨーロッパ全土に名を轟かせた。

その後はレアル・マドリードでのチャレンジを選択したものの、期待されていたほどの活躍ができずに、2010年の夏にトッテナム・ホットスパーに加入。プレミアリーグ初挑戦となった元オランダ代表ミッドフィルダーだったが、絶対的な活躍を見せられずにわずか2年で古巣ハンブルガーSVに復帰。

運動量こそ豊富ではないが、攻撃センスは抜群。巧みなパスセンスやボール保持、左足から放つ強烈なシュートなど攻撃的なミッドフィルダーとして魅力の多い選手だったわけだが、もしもウリエ監督の誘いに乗って、リバプールに加入していたら…と、妄想は止まらない…

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