チャンピオンズリーグも制覇したラファ・ベニテス監督が、リバプール指揮官時代に逃した2選手とは!?

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Rafa Benitez, who also won the Champions League, missed two players when he was in charge of Liverpool! 移籍

レアル・マドリードBやトップチームのアシスタントコーチとして従事したラファ・ベニテス監督は、他の3チームを経て、2001年にバレンシアの指揮官に就任。すると、ラ・リーガやヨーロッパ・リーグ(旧UEFAカップ)を制覇するなど、指導者としての評価を高めた。

その実績を買われて、2004年にはリバプール監督に招集される。国内リーグでは振るわなかったが、チャンピオンズリーグでは無類の強さを発揮し、就任初年度にチームに栄冠をもたらした。2年後にも決勝に進出するなど、トーナメント戦では抜群の成績を残した。

2010年までの6年間に渡り、アンフィールドで指導したスペイン人監督だが、同クラブでの補強の裏側を語り、元イングランド代表FWマイケル・オーウェンをレアル・マドリードに放出した際に、その取引に含める形で、当時Bチームでプレーしたファンフランを狙っていたと明かした。

「私は自分のサッカークラブにとって最高の取引をしようとした。」

「私はレアル・マドリードを熟知していたので、彼らと話をしていた。会長に近いジャーナリストの友人と話をして、彼らが何を考えているのか情報をもらっていたんだ。そして、彼らが取引をすることは100%知っていた。」

「そこでリック・パリー(元リバプール会長)に “リック、この値段で、この若い、ファンフランを獲得した方がいい” と進言した。ファンフランはレアル・マドリードのBチームでプレーし、その後アトレティコ・マドリードで右サイドバックや右ウイングとしてプレーしていた。我々には右ウイングが必要だった。」

「レアル・マドリードからは “ノー “と言われ、(アントニオ・)ヌニェスを取り引きに組み入れた。獲得したのはいいが、彼は(何度も)怪我をしていて、最高の契約ではなかったかもしれない。しかし、私は他の誰かを連れてきて、我々にとって取引を改善しようとしていたんだ。」

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アントニオ・ヌニェスは27試合に出場したものの、大きなインパクトを残せないまま、翌シーズンにはセルタ・デ・ビーゴに移籍。プレミアリーグに馴染めず、ポテンシャルも決して高くはなかっただけに、この補強は完全に失敗に終わった。

一方で、ラファ・ベニテスはフィオレンティーナで活躍していたモンテネグロFWステヴァン・ヨヴェティッチの獲得を熱望していたようだ。ところが、リバプールに費やせる資金がなかったこともあり、アンフィールドに向かうことなく、2013年にマンチェスター・シティに加入した。

「私は(ステヴァン・)ヨヴェティッチとも契約したかった。」

「彼はフィオレンティーナでプレーしており、値段は1600万ポンド(約22.4億円)だった。私の頭の中では、予算もあって、お金もあった。そして、いざ契約しようとしたら、”いや、金はない” と言われてしまった。」

「その後フィオレンティーナと対戦し、2-0で敗れ、ヨベティッチが2ゴールを決めた。彼は私が欲しかった選手だ。こういうことは、ファンにはわからない。監督として、使えるお金に応じて決断しなければならないんだ。」

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アンフィールドを去ってからは、インテル・ミラノやチェルシー、ナポリ、レアル・マドリード、

ニューカッスルなど数々の名門クラブを率いた同監督は、2021年にはまさかのエバートン監督に就任。

エバトニアンからは批判が集まり、結果が出せないこともあり、2021-22シーズンの途中に解任。それ以来、フリーの状態が続いているが、62歳の名将は指揮官として復帰する日は来るのだろうか..?

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