同年代で一番シャイだった…リバプールDFジャレル・クアンサーが、アカデミー時代を回顧!

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I was the shyest in my age group...Liverpool defender Jarell Quansah recalls his time at the academy キャリア

2003年1月にウォリントンで生まれたジャレル・クアンサーは、わずか5歳でリバプールのアカデミーに加入。その後は、順当に各カテゴリーに昇格し続け、今シーズンは待望のトップチーム定着を掴み取った。

昨シーズンまではEFLリーグ1にレンタルで出されるほどの選手だったが、今季のプレシーズンで一気にレギュラー候補に浮上。ヨーロッパリーグやカップ戦でチャンスを得ると、安定感のあるパフォーマンスで、いまやフィルジル・ファンダイクとイブラヒマ・コナテに次ぐセンターバックとして起用されている。

1.90cmと恵まれた体格に加えて、足元の技術にも優れる現代的なディフェンダーは、下部組織に入団することになった出来事を回顧。マンチェスター・シティやユナイテッドら近郊のクラブでも練習に参加したうえで、リバプールでのサッカーが一番楽しかったと過去の記憶を呼び戻した。

「僕はセントラルミッドフィールドで、スカウトのジョン・アルコックが見守る中、その試合で6ゴールを決めたんだ。」

「ウォリントンにあるクラブの育成センターの練習に数カ月間招待されて、5歳になると週に2〜3回、アカデミーに通うようになった。プロのサッカー選手になることだけが、僕の夢だったんだ。」

「何があるのか知りたくて、いろいろなところも回った。マンチェスター・シティ、マンチェスター・ユナイテッド、ウィガン、ボルトン…それら全てね。」

「当時、僕はただプレーし、自分のやっていることを楽しんでいた。サッカーができれば、いつでも幸せだった。両親は選択肢が多いほうがいいと考えていたんだ。」

「リバプールが最高のトレーニングを提供してくれたことを覚えている。そこが一番サッカーを楽しめたし、だからここに残ったんだ。」

The Athletic

元々はミッドフィルダーとしてプレーしていた21歳の若手選手は、いまとなってはセンターバックのイメージしかない。ポジションを変更したタイミングを振り返り、フランスのナントで行われたU-9トーナメントで監督から指示を受けていたと明かした。

「準決勝で苦戦していた時、監督が “ジャレル、もっと深い位置に下がって、後ろからの組み立てを助けてくれ” って言ったんだ。僕は迷わなかった。僕はいつもボール扱いがうまかったし、ドリブルもできた。」

「その日以来、右サイドバックで少しプレーした以外、他のポジションでプレーしたことはない。」

The Athletic

トップチームでは、今季からキャプテンに就任したオランダ代表DFフィルジル・ファンダイクとともに最終ラインでプレー。代表チームでもキャプテンマークを巻くベテランディフェンダーの精神力を間近で体験している。

リーダーシップの観点において、自身もU-18では数多くの試合でキャプテンを任されてきた。しかし、同選手はシャイボーイで静かな性格であったため、周りからはピッチでもっと声を出せと指摘されていたと吐露した。

「同年代で一番シャイだったから、リーダーシップは自然と身につかなかった。」

「僕は本当にしゃべらなかった。ただ冷静だった。コーチはいつも、ピッチでもっと話すようにと言っていた。16歳以下や18歳以下で腕章を任されたときは、少し無理をしてでも声を出さなければならなかった。とにかくピッチの中では自分が手本になって、ピッチの外ではできる限りみんなを助けようとしたんだ。」

The Athletic
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